カリタスで学んで

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カリタスで学んで

▼保護者の声へ

卒業によせて「ミッションスクールに学んで」

私は、この間の宗教の授業でずっと不思議に思っていた「ミッションスクール」のミッションの意味を知りました。「ミッションスクール」とは、キリスト教などの宗教を広めるために伝道団体などによって作られた学校をいいます。特に、キリスト教圏以外の場所でつくられたキリスト教のことをそう呼ぶそうです。そして「ミッション」とは、与えられた使命、任務のことを指すそうです。

このカリタス小学校というミッションスクールで学んで、私は、仕えることの大切さを知りました。「仕える」という言葉は今ではあまり聞かないので、最初の頃は意味がまったく分かりませんでした。でも、人のために力をつくすこと、ひとを手伝ったりすることだと分かり、少し難しいかもしれないけれど、ちゃんとチャレンジしてみようという気持ちになりました。そして、落ちているごみをそうじしたり、自分から進んで手伝うようになりました。人に見えていないところでもちゃんとやれば、自分の気持ちがすごくいい気分になることにも気付きました。これが、学んだことの一つ目です。

二つ目に学んだことは、塩むすびのことです。入学するまでは、おむすびにおかずが付いているのが普通だと思っていたけれど、おかずどころかご飯も食べられない人がいることを授業で知りました。その人たちのために、おかずは食べずにその分を募金して、塩むすびを食べるものです。塩むすびは、しょっぱいし塩の味しかしないし、すぐにおなかがすいたけれど募金して食べ終わると、心の中に満足感が広がってすごくいい気持ちになりました。

よく中野島駅の看板に「ミッションスクール」と書いてあることをすごく不思議に思っていたけれど、意味が分かってからその看板を見てみると自分はたまたまこの学校に入学してきたのではなく、ちゃんと導かれてこのカリタス小学校に入ったんだと思いました。そして、小学校を卒業してもこの「ミッション」の言葉通り、学んだことやいろいろな言葉をまわりの人たちに伝えていきたいです。

私はカリタスの宗教の授業で、はじめて神様を信じると言うことを教わりました。低学年の頃は、イエス様がどのように神様のことを伝え広めていったのかというイエス様の一生を勉強していました。そのころは、イエス様は嵐をしずめたり病気を治したりできてすごいなと思っていました。

しかし、中学年くらいになって福音を告げ知らせようという勉強をしている内に、私は、イエス様の言ったすごいことよりも、その時にイエス様が伝えていることに注目するようになりました。例えば、嵐をしずめたイエス様は
「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」
とおっしゃっています。私は(信じる気持ちの強さは、どう違うのかな? )と疑問に思いました。ここでいう信仰の薄い者は、イエス様に嵐から助けてくださいと言った弟子たちです。この弟子たちがイエス様はどのような問題にも解決を与えてくださる方だと、心の奥では疑っていたことを見透かされていたのです。私は、うわべだけの信仰の気持ちでは乗り越えられる困難も乗り越えられないのだな、と思いました。

一年生のときからずっと教えてもらっていた島田先生が、さいごの宗教の時間で自分の病気の体験といっしょに「神様は乗り越えられない試練は与えない。ちゃんと越えられる道も用意して下さる」ということを話して下さいました。私は、うわべだけの信仰では困難を乗り越えられないと思っていましたが、やはり病気になってしまうと(どうして神様は私を病気に・・・)と信仰が薄くなってしまうものだなとも思いました。実際、島田先生も(どうして・・・)と思ったそうです。それでもその病気を乗り越えて、また宗教の授業をすることができている島田先生は、しっかり心のすべてで神様を信じることができたのです。それはけして簡単なことではないと思います。でも身近にいる島田先生が神様からの試練を乗り越えられたことから、私も信じることは絶対にあきらめないでいようと思えました。

これから何十年とつづく私たちの人生において、困難つまり神様からの試練はさけて通れないと思います。それでも神様は、いつも私たちと共にいてくださると強く信じて生きていきたいです。人生の困難を神様を信じて乗り越えられたとき、人は、それまでよりもっと強くなれるのだと信じています。

私は、幼稚園のときお祈りが好きでした。お祈りをしていると、なんだかふいに神様が現れてくださるような気がしていたからです。

それから小学校に入って、毎日の生活の中でお祈りしたり、宗教の時間に聖書のことを習ったりしているうちに、神様がどういう人なのか真剣に考えることが増えました。なかでも、忘れられないのは、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイ25章40節」というみ言葉です。これはどういうことなのかなと思います。

これまでに永井隆博士のこと、コルベ神父のこと、二十六聖人のこと、ルルドのベルナデッタのことなどを知る機会がありましたが、これらの方々はまさにこのみ言葉を実行しているように思います。自分の身体や命までも犠牲にして、苦しんでいる人々のためにささげるということを身をもって示しているからです。小学校の六年間で、「人に仕える」ということをたくさん学んできました。でも、実際のわたしは、少しつらいことがあったり、悲しい出来事があったときに人を思いやる余裕なんてなくて、自分だけが苦しいんだと思ってしまいます。

ついこの間、学校へ行く電車のホームで、はっとした出来事がありました。つえをついて歩くのが大変そうなおじいさんが、階段を上がろうとしていました。今にもよろけそうで、わたしが手を差しだそうと思ったその時、一人の中学生の男の子が、そのおじいさんをぱっと支えました。おじいさんを無事に電車に座らせた後、その中学生は、別のホームに行きました。わたしは本当に感動しました。そして、「人に仕える」とは、こういうことなのだと感じました。悲しみや苦しみを味わったなら、その分、他の人の痛みにもすぐ気づける人になれるんだと思います。つぎにこんなことがあったならば、迷わず手を差しのべられる人になりたいと思いました。

それともう一つ、わたしの好きなマザー・テレサの歌「主よ、わたしをおつかいください」の歌詞を実行できるような人になることです。苦しんでいる人のために、私の手をおつかいくださいと言える人になりたいです。

カリタス小学校で学んでいなかったら、こんなことを考えもしない小学生だったかもしれません。幼稚園のときに想像していた神様は、こんなかたちで私のそばにいてくださったのかと思います。

私はミッションスクールで学び、いろんなことが深く考えられるようになりました。一年生の時だったら、「愛って何ですか」と聞かれたら、何にも考えずに「だーい好きってこと」と答えると思います。だけど、6年たった今ならこう答えると思います。「自分の好きな家族、友だちだけでなく、自分の苦手な人なども愛すと言うことだと思います。簡単に言うと隣人を自分のように愛すということです。」

この例でいくと、『塩狩峠』です。この物語の主人公信夫さんはまさに隣人を自分のように愛しています。・・・「信夫さんの乗った列車が塩狩峠の頂上にさしかかったとき、突然客車が離れて暴走し始めた。体に伝わっていた機関車の振動もぷっつりととだえた。声もなく恐怖におびえる乗客。飛びつくようにデッキのハンドブレーキに手をかけた。だがなかなか止まらない。その先に急勾配のカーブがあった。たった今の速度なら、自分の体でこの車両を止めることができると信夫さんはとっさに判断した。一瞬、家族の顔が大きく目に浮かんだ。それを振り払うように、信夫さんは目をつむった。その体は線路めがけて飛び降りていた。客車は無意味にきしんで、信夫さんの上に乗り上げ、ついに完全に停止した。」と言うところです。

この場面では、身内でも知り合いでも何でもない知らない人たちがたくさん乗っている車両を、信夫さん自ら命を絶ってまで止めるなんて勇気があると思いました。しかも、もうちょっと読むと、信夫さんは結納をすることになっていたのです。この日。こんなに楽しみなことまでを振り払ってまでやった信夫さん。みんなのことを考えて愛してくれたと言うことがよく伝わってきました。もし信夫さんがこの列車に乗っていなかったらと考えると、もっと大勢の人が亡くなっていたことでしょう。しかし一人だけだったからよかったということはありません。大勢の方が悲しんだと思います。家族、友だち、知り合い、身内やその列車に乗っていた人も悲しんだことでしょう。

隣人を愛した人=自分を愛した人。みんな気付かない内に、隣人を愛しているのだと思います。隣人を愛すると、自分のことを愛してくれる人が増えるというふうに、いいことがいい方向に比例していきます。

私は、ミッションスクールで大切なことを教えてもらいました。それは、人を愛すと言うことです。どんな人に対しても優しく、相手のことを考えることができるようになるといいです。

一・二年生の頃には、「仕える」ってどんなことだろう? 友だちに優しくすることかなと、あまりわかっていませんでした。私は、その時には(人に優しくする、ごみ拾うなどのこと)だと思っていたのかもしれません。

三・四年生の時にはコパン(児童会)の人が、「仕える人になりたくて、コパンにはいりました。」と言っている声が耳に入ってきました。そして、コパンのやっていることだから、里子に募金をしたり、みんなのために運動会で司会をやっていたりして(人のためになることを自分でやってあげることかな)と思っていました。

そして、五年生の一学期、私は(コパンってどんなものかな? やってみようかな。人のためになることを自分でもやってみたい)と思って、コパンになりました。コパンになった理由にはあと二つあって、一つは「今まで私たちのためにコパンの人が働いてくれたから」ということ。もう一つは、「私は意外と人前で声を出すことが苦手だから、コパンになって放送したり声を出したりして自分の苦手を減らそう」ということです。

コパンにならないとわからない体験をしました。それは、コパンは思っていた以上に人には見えないところで働くことです。今までは知らなかったけれど(こんなに苦労してまで、カリタス小学校の行事を盛り上げようとしてくれていたんだから、私も恩返しのようにがんばらないと)と思いました。毎日のようにもう一人のメンバーと話し合っておいのりを作ったり、担当の先生と話し合ったり、ずいぶん大変でした。一学期が終わったときには、(楽しかったなあ、人がよろこんでくれることを想像してがんばろうと思うと自分も相手も嬉しくなるからいいなあ。仕えるってこういうこともいうんだ)と思いました。

おかげで、コパンが終わってからも人のために行動を起こすのが、とてもワクワクして、私の喜びにと変わっていきます。憎しみは憎しみしか生まないというけれど、幸せも幸せしか生まないんだなと思いました。

これからどんどん大人に向かって成長していくけれど、ずーっと人のために働くことの喜びを忘れないようにしたいと思います。

私は、カリタス学園で9年間学びました。宗教の時間では高学年になるにつれて内容が濃くなり、聖書のことをあつかう時間が増えてきました。授業で私が見つけたお気に入りのみことばは、「わたしはふどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」と言う部分です。私は、この聖書箇所を読んだとき、今までの自分の間違いに気付かされました。それまで私は、自分の成功のために様々な知識を取り入れていました。このみことば風に言い換えると、豊かな実を実らすため、自分で養分を吸い取っていたと言うことになります。つまり、自分のことを自立した一本の木であるかのように思ってしまっていました。しかし、このみことばには私たちはイエス様につながっている枝であって、イエス様とつながることにより、豊かな実を結ぶことができると書いてあります。でも、イエス様とつながるってどうするのだろう。それはきっと私が9年間続けてきた「祈り」が、イエス様、そして神様とつながるための道の一つだと思います。

幼稚園、小学校で身につけた祈りの習慣は私にとっては宝物です。中学、高校、大学そして社会人となっても、カリタスで身につけた祈りを大切にしていきたいです。それに私はこのみことばから「人と人の繋がり」を学びました。イエス様から、私の遠い祖先・・・そして今の私のおじいちゃん、おばあちゃんから父、母へ、そして私というように命のつながりを感じました。それに周りの枝とゆずり合って養分を吸収するところに、他人と助け合う精神が感じられました。

カリタス小学校では、友だちとのつながり、人と人とのつながりを考える授業などもあったりして、いかに人と人とのつながりが大切なものなのかを考えさせられる6年間でした。そして今、大事にしている人と人とのつながりは将来自分を助けたり、反対に人を救うことにつながります。なので、人とのつながりを大切に卒業後も歩んでいきたいです。

私の枝は、これからどんどん成長していきます。成長するための第一歩は、カリタス小学校で知らず知らずのうちにもう踏み出していました。神様からいただくたくさんの幸せを胸に、新しい環境でぐんぐん私の枝を成長させたいです。そして。私が大きくなった頃には、その枝がいくつにも枝分かれし、豊かな実りに恵まれているのを願っています。

私が6年間カリタス小学校で学んで良かったと思うのは、考える力や習慣が付いたことです。

一番はWFPのエッセイコンテストです。正直、毎年最初は面倒くさいなと思っていました。だけど毎年書き始めると逆に興味が湧いてきて、どんどん自分で調べてしまいます。それまでは、食糧問題については抽象的な知識しかなくても、WFPの給食プログラムや私たちにもできる募金について調べ、それをエッセイにすることで自分の考えが変わったこともあれば、いっそう深まったりもしました。

WFPのエッセイコンテスト以外にも一年間で何回もやるミサも、いろんな考えを持つ機会になりました。毎回、ミサでの神父様のお話も楽しくて親しみやすいので、聖書の内容も理解しやすくて、さらに自分の考えが持ちやすかったです。最近のミサでのお話で印象的だったのは、「変な人を愛する」話です。この話で考えたのは、(確かにふだんの私がすべての人を愛せているかと言ったら、確信はできない。)ということです。だけど、マルグリット・デュービルのように「その人たちの良いところは、神様が知っている」と考えると、心持ちが変わるなあと感じました。

たぶん、私がカリタス小学校に通っていなければWFPのエッセイは書かなかっただろうし、ミサにも参加はしていないと思います。その上、食糧問題などについても深く考える機会もなかったと思います。そして、東日本大震災後には「東日本大震災への祈り」をみんなで唱えて、東北の復興を今でも忘れずに考える機会がある環境にいることもないと思います。

6年間宗教の授業を受けて、仕えること、仲間のこと、世界のことなどキリスト教、神様に対してたくさん考えさせられました。これからは、小学校で学んだこと、考えたこと、話したことを行動に起こしていこうと思います。

本当に、本当にカリタス小学校で学べて、過ごせて良かったです。

私は、カリタス小学校で「日々のお祈りの大切さ」を学びました。低学年の時は、そこまでお祈りに関心もなく、正直(みんなが唱えているから私も)という思いでやっていました。特に食前のお祈りは、早く食べたいと感じていました。ですが、四年生になり、WFPのことについて学びました。その時最も衝撃的だったことが、世界で約8億人以上の人が栄養不良だと言うことでした。世界の9人に一人が、十分な食料を得られていないそうです。私は、もっと少ないと思いこんでいたので驚き、悲しくなったことを覚えています。私たちは好き嫌いもして、いつもたくさんの量の食べ物を捨ててしまっています。世界では満足に食べられずに、餓死する人も大勢いるのに、です。そのことを知ると、反省しました。それに、私たちが「みんなが安全に暮らせるように」「世界平和をめざそう」と言っていますが、ほとんどは言って終わっている気がします。実行していません。それでは、平和にはなりません。でも、この授業のおかげで食べ残しをすることが減りました。

また、これまで深く考えていなかった「犠牲となるもの」についても、考え始めました。人間が生きていくためには、食事をしないと無理です。でも、そのためには犠牲になるものが必要となってきます。人間はこれらがあるから、生きられるのです。逆に、犠牲となるものにももちろん命があり、それを頂いています。この命も大切なのだから、残したら失礼だと思うようになりました。このことを絵本でよみ、ますます命を頂いて私たちは生活していることを学びました。いつもだったら、当たり前に食べているけれど、その感謝を伝えているのが、お祈りだったのです。私は、「今頂くこの食事を祝してください。」と言う箇所で感謝の気持ちが伝えられると思います。また、食後の祈りに「お恵みを心から感謝します。」と言うところも好きです。すべての命に感謝し、食べ終わっていました。

他にも、この6年間で唱えたお祈りは、心に残っています。食糧不足で未だに苦しんでいる人々はたくさんいます。今、自分にできることは何か、小さいことですがやっていきたいです。中学校でも、小学校での「仕える心」やお祈りを続けていきたいです。

私は、ミッションスクールで学んで、神様についてたくさんのことが学べたと思っています。実は一つ、他人が困っているときに思い出す、神様のたとえ話があります。それは、レビ人の話です。

具体的にその話を説明すると、あるレビ人が森で死にそうに倒れていて、それを見つけた神父と町の人は無視をしてそこを過ぎ去ってしまいましたが、旅人は、その人を見つけると、宿舎でその人の分の部屋を用意したというお話です。私は、困っている人、人の助けがいる人などを見たときに、いつもこのお話を思い出します。人間は、自分のきらいな人には無視をしたり何もやらなかったりと、意地悪なことばかりしてしまいます。でも、自分が助けてほしいときはどんな気持ちでいるのかを考えて、誰かを助けてあげるときには、差別なくすることを心がけています。

また、ミッションスクールの一番の特徴は、祈る時間が学校の科目にあることだと考えています。幼なじみの子に「お祈りをして、どんないいことがあるの?」と聞かれたことがあります。その時は、私自身が小さかったので、祈りの本当の意味も知らずに「分かんない」と答えてしまいました。でも、神様といっしょにいられる時間があることで、いろいろなことをお話しできて心が清らかになれると思います。

今でも、イスラム国周辺の国では、神さまを信じる人同士と、それとはちがう神を信じる人同士で争いごとが起きています。神さまを信じることは良いことだと思いますが、神さまは、人同士が争ってその国の神を決めると言うことは、絶対に臨んでいないと思っています。それぞれ一人ずつが自分が信じる神を信じてくらしていけば、亡くなる人もでないし、自分が一番うれしく感じると思っています。

学校では、WFPの作文を毎回夏休みに出しています。毎回テーマはちがいますが、一番大きいテーマは、バングラディッシユやインドの子どもたちの困難な生活をどのように考えるか、その子たちに対して私たちができることは何かを考えて作文にするのです。今それらの国では、5秒に一人が亡くなっています。そんな人たちのためにできることは、ぼ金するお金の額を増やすとか、学校で集めているアルミかんを回収日までになるべく多く持ってきたりだとか・・・。実際は、現地まで行って、子どもたちの病気を治してあげることはできないけれど、カリタス小学校636名みんなが里子たちのためにできることをやれば、バングラディッシュやインドの人たちにとって大きな支えになると思います。

私が、このミッションスクールで学べたことというのは、人のためにやる行動、気持ちだと考えています。そして、今後も忘れません。

カリタス小学校に入学して、はじめて宗教という授業を受けました。その授業でたくさんのことを聞き、学びました。その中で、学年に関わらず出てきた言葉があります。それは、「私はいつも、あなたと共にいる。」という言葉です。

神さまは私たちと共にいてくださるとしても、それは目に見えないので、実感することができません。一・二年生の時は、目に見えるものがすべてだったので、このみ言葉に、いまいちピンときませんでした。今でも完全に理解しているとは言いがたいと思います。

2学期に、学年担任の田中先生が、自分が以前病気になったときのことを話してくださいました。六年生の担任をしていたのに、卒業式にも出席できなくて、とても悔しく、悲しくて、(神さまは、私がこんなに苦しんでいるのに、共にいてくださらない)と思ったことがあったそうです。でもだんだん、自分が本当に苦しいときこそ、神さまが一番近くにいてくださることに気づき、そう思うことで心が軽くなったとおっしゃっていました。他の先生も「神さまが共にいてくださると思うだけで、心が軽くなる。」とおっしゃっています。

私は、まだそこまでつらい思い、苦しい思いをして、神さまがいてくださると思いすくわれた・・・などという経験は、もちろんありません。でも、低学年の時より「共にいる」の意味が分かった気がします。目には見えないし、直接的な手助けはないけれど、毎年お祈りしているように「今もそして死ぬときも共にいて、見守ってくださる」ことで、安心することができるのだと思います。

目に見えないものを信じるのは、本当に難しいことだと思います。特に、心が弱っていてどうせ・・・と投げやりになっているときは、何も信じられません。でも、6年間信じる、・・・信じない・・・と繰り返してきて、少し、信じる回数が増えてきました。どんなにいやだったことでも、最終的に今では良い思い出として振り返ることができるからです。

このことが、神さまが私と共にいてくださっている証拠なのでしょうか? それはまだ分かりませんが、一つ言えるのは、こんなことを6年間くり返してきて、私は「目に見えないものを信じる」ことが、少しできるようになったと思います。

▲卒業生の声へ

保護者の声

カリタス小学校の良い所、又、他の私学ではなかなか行なわれていないと思う所は、学習面でも、総合学習や行事、宿泊においても、「失敗はしてもいいので、生徒の意見を尊重し、自分たちで考え、認め合い、共に体験を通して高め合う事を徹底している」事だと思います。授業や行事を拝見していても、いつでもその事が表現されているので、生徒たちが活き活きと、自信に満ちて、学んでいる様子を感じる事ができました。先生方からの一方通行ではなく、必ず子供たちの意見を聞いて、サポートして下さりながら、自らで自発的に学ぶ事ができるよう見守っていただいた先生方の陰の努力のお陰だと思っています。この徹底された教育方針によって、娘も常に探究心をいろんな事にもち、共に友達と協力し、高め合う事ができたのだと思います。

何と言っても充実し成熟した総合教育です。

総合学習は、教科学習と違い、点数などにより評価することが出来ない点で短期的にはその必要性や良さが解りにくいと思いますが、能動的学習は友人(他人)と関わり合う事が密になり、自分の考えを相手に伝え、相手の気持ちをくみとるという心のキャッチボールが自然に出来る様になると思います。

個人主義に走りがちな現代社会でこれから中・高・大・社会人と成長していく過程で、いちばん大切な“人との関わり”を学べる学校だと思います。

学習面では、基礎的な学力を細かく、宿題や豆テスト・モジュールなどで何度でも確認させてくれるところはすごいです。子供の苦手な所が、明確にわかるので復習がやりやすいし、また、高学年になると宿題の量も増えてくるので、自学自習の習慣は、自然と身に付いてきました。

環境面は、とにかく登戸なので、都会からはなれ、多摩川もすぐ近くだし、校庭も広いです。校庭の中には、飼育小屋もあり、やぎや羊、うさぎなどふだん子供達がなかなか近くでは飼育できない動物達もいて自然に囲まれています。動物を育てていくことにより、子供達も一緒に成長していくことができました。

行事は、一年間を通して、各クラスが勉強してゆく総合教育活動がさかんです。先生、友達の意見を聞いたり、本を読むだけでなく、体を使い・体験し・体感し・時には大きく失敗し、学んでゆく活動は、子供達の大きな力になると思います。学校と子供と家庭との共同作業であるときもあり、親もとても勉強になることが多かったです。

先生方が大変きめ細かく熱心に学習に向かわせて下さるので、子供達も、自ら意欲的に学んでいる点がとても良いと思います。総合は、自ら考え、取り組む力が、養なえる教科だと感じてきました。教室は、オープン形式なので開放感があり、のびのびとして、すごしやすい環境でした。カトリック教育に基づく心の教育は今とても子供達にとって大切な教えであると感じています。人を思いやれる心、感謝の心、奉仕の心などは、この時期の子供達にとって、学習のみならず、とても大切な心の勉強だと思ってきました。カリタスでこのことを含め、学べたことは何よりも良い子供の成長につながったと考えています。この良さをこれから小学校で学ばれる皆さんに是非知って頂きたいと思います。

カリタス小に入学して一番初めに感じた事は上級生の優しさ、面倒見の良さです。不安に思っている新入生を笑顔で手を引きお世話をして下さる姿が今でも忘れられません。 上級生、下級生との触れ合いによる人への思いやりを我が子は沢山学んだと思います。

そしてカリタス生は何故かみんな本が好き?!上級生が何時も本を読んでいる姿を見て我が子はそれを魅力に思い真似をして、今ではやはり本好きのカリタス生です。

娘はカリタスお姉さんの影響がかなり大きいようです。

又、カリタス小では沢山の動物と触れ合います。おたまじゃくしに始まり、うさぎ、山羊、羊、豚。

総合の授業では近くの多摩川に行き、色々な体験をさせて頂きました。

お陰様で今では何でもチャレンジするかなり元気な子に育ちました。